本来、このような話はすべきではないかも知れない。
しかし関係が一年以上続いていることもあり、自分の中でどこかに彼女のことをアウトプットしておきたいという気持ちが芽生え、今回ブログに記そうと決断した。
私は一年前から『ママ活』をしている。
『パパ活』という言葉をご存知だろうか？ 経済的な余裕があり、かつ強靭な精神力で下心をギリギリ抑えることが出来ている男性と時間を共に過ごし、その対価として女性が金銭を得るという下ろしたてのコンドームのように健全な活動のことである。私は約一年前から、ある女性と定期的に会い報酬を得ている。いわば『パパ活』ならぬ『ママ活』というわけだ。
そもそもの始まりはコロナ禍であった。ジムの閉鎖、または行政指導によるジム再開後のスパーリング規制などもあり、趣味のボクシングが思うように楽しめない日々が続いていた私は、これからは１人でも楽しめる道楽が必要だと考えた。そうしてパッと思い付いたのが、シュノーケリングであった。必要な道具と海があればすぐにでもチャレンジできるレクリエーションだ。
しかし、用具を揃えて向かった東京湾で問題が起きた。妙に臭うのである……。確かに東京湾が生活排水で汚染されているという話は聞いたことがある。一説には、糞便性大腸菌群の数がディズニーシーの〝トイ・ストーリー・マニア〟の順番待ち人数より多いとも言われている。だが、それを言ったら、私自身がありったけの大腸菌を体内に抱え込んでいる汚れた人間ではないか……！ しかし人間というのはウンコを体内に詰めていながら、道端に落ちている犬のフンに嫌悪感を示す複雑な生き物でもある。そのように躊躇していると、あまりにも汚染が進み遊泳禁止区域に指定されている海面から、女性がひょっこり頭を出した。呆気にとられる私をよそに、女性はこちらに向かって泳ぎ、やがて岸へと上がりシュノーケルとマスクを取って寝転んだ。
私はしばらく女性から目が離せなかった。年齢は60を少し過ぎたところだろうか。顔に刻まれたシワは、もう子供が誰一人遊びに来なくなった公園に設置されているブランコのような寂しさを感じさせたが、得てしてそうしたブランコは疲れた中年男性を呼び込むものである。気づくと私は女性に声をかけていた。
奇しくも私と同じようにコロナ禍で楽しめる趣味としてシュノーケリングを始めたと話す彼女は、月に数回、東京湾に潜りに来ているそうだ。正面から見た彼女の顔は、名前は忘れてしまったが『ゲゲゲの鬼太郎』に出てくる砂をかける妖怪を思い出させ、親近感が湧いた。かくいう私も、相手に抱きついて赤ちゃんのような声で泣きながら石になる妖怪に似ているとよく言われるからだ。
このようにして我々は出会い、私が「砂かけぇ〜！」と呼べば、彼女も「子泣きぃ〜！」とかけ合うほど意気投合したのだった。彼女から〝報酬〟を提案されたのは、一緒に東京湾に潜るようになってから３ヶ月ほど経った初秋のことだった。
「チエコと会ってくれるお礼がしたいから……」と頬を染める彼女に、私は割と引いた。30代になっても自分のことを下の名前で呼ぶ女性はヤバイとは言うが、60代を超えていれば何かもう仕方ないと割り切れるものだ。しかし、会うことに報酬を設けたりするのは嫌だった。私はそんなつもりで汚水に潜っているわけではないのだ。じゃあどんなつもりなのだと聞かれると困るのだが……。
ずいぶん長い間話し合ったものの、結局、私はチエコの提案する報酬を受け取ってしまった。彼女があまりにしつこかったのも理由の一つではあるが、その報酬というのがチエコ宅の庭の土という、金銭に比べれば生々しさが薄いものだったからだ。今になって思えば「そこは流れ的に〝砂〟だろ」とも感じるが、当時はそうした〝流れ〟が見えていなかったのだ。そしてよくよく考えれば、土もたいがい生々しい。
「チエコ、お庭の土くらいしかあげられるものがないの……」と彼女は言ったが、それは本心であったろう。何故ならその次に会った時も、そのまた次に会った時も、報酬は土だったからだ。本音を言えば、その頃には心の底から金銭を要求したい気持ちでいっぱいだった。
長くなってしまったが、以上が彼女との『ママ活』の顛末である。関係は現在も続いており、次は来週の日曜日にシュノーケリングをしようという話になっている。もう11月末なので、もはや糞便性大腸菌群がどうこうなど気にならないほど寒く、水温は死活問題である。
なお、彼女に貰った土は袋に入れて自宅に置いてある。すでに40kgほどの量になっており、遊びに来た友人達に「あれは何だ！？」と驚かれる。その度に、私は「甲子園で敗退した際に持って帰ってきた、球場の土だ」と答えるようにしている。
正直、赤ちゃんのように泣きたい程
苦しい嘘だとは自分でも思う。
-了-
