ダンス・ダンス・ダンス

顔や体全体を使って喜びを表現できる人は素敵だ。

僕はそういったことが不得手で、満面の笑みなるものをこしらえることもできなければウォーッ!!!!っと両手を挙げて喜ぶといったことも苦手である。なんたって僕のつくる笑顔はコブラに首をぎゅうっぎゅうに締め上げられるキタキツネ並みに切羽詰まったものだし、人類史上初めて火を起こした猿並みに頑張って笑顔をつくってみたところで所詮はネアンデルタール、進化前の取るに足りない猿にすぎない。

しかしそんな進化を経験しそこなった猿である僕にも「こりゃ嬉しいなぁ!」なんてハッピーになることはもちろんあるワケで、喜びを爆発させて表現したいときだってある。そんなとき、出来うるならば今よりもう少しだけホモ・サピエンス寄りな感情表現をしたいのだ。


思うのだけれど、スポーツなんかで個人種目を選択した人々というのはどちらかというと喜びの表現に不慣れだったりするんじゃないだろうか。僕はこれまでテニス、陸上、ボクシングと個人種目ばかりをやってきたのだけれど、サッカーや野球といった集団競技の人たちはワーッ!!!!っとみんなで肩抱いて盛り上がったり甲子園で砂拾ったりして、嬉しいだとか楽しいという感情を思うままに炸裂させているように見えるのだ。ああいう感じというのは個人競技では出しにくい面があるように思う。

相手があってこそとはいえ、個人競技って割と自分との戦いみたいな一面が強いから(テニスはそうでもなかったのだけれど陸上とボクシングはかなり強くそう感じる)、集団競技の一体感のようなものにはちょっと憧れもある。そこで僕はサッカー部出身である友人の松戸君の力を借りることにした。長年サッカーに親しんできた彼はやはり感情表現が多彩で自由なように僕には見えていたからだ。



「ふむ……なるほどな。話は分かった」と松戸君はティーカップを置きながら言った。

僕らはデニーズのさして美味くもないコーヒーを飲みながら、付き合いの長い友情によくあるように毎度お馴染みの昔話に花を咲かせていた。会うたびに繰り返されてきたエピソードでひと通り笑い合った後で、僕は例の話を切り出したのだった。

「たしかにお前のつくる笑顔や感情表現てのは、かなり胡散臭いよな。
 なんというか、ゾウの大群に踏みならされて出口が完全に塞がったアリの巣みたいな印象を受ける」
「あ、ああ……俺もそう思うよ……」と一応僕は松戸君に同意し、続けた。
「何かいい方法はあるかな? その、マツみたいに自然に感情を表現できるような方法が」


松戸君はコーヒーをすすり、窓の外の国道16号を走る車の列に目をやった後でこう言った。
「……ある。俺たちサッカープレイヤーは喜びを表現する際に、ダンスを踊るんだ」
「ダンス?」僕は少々呆気にとられた。
サッカーとダンスが自分の中でうまく結びつかなかったからだ。
「一体どんなダンスなんだ?」と僕は身を乗り出した。


松戸君は僕の目を真正面から捉え、力強く

「それはカズダンス、と呼ばれている」

と答えた。


「カズ……ダンス…?! 何なんだ、それは…?」
「日本サッカーの歴史に古来より伝わる、選ばれしプレイヤーが踊るダンスがあった。それが、カズダンスだ。最近ではサッカープレイヤーはもちろんサッカーファンまでもが得点が入る度に敵味方入り乱れて踊り狂う、まさに歓喜の舞いとして知られている……一度カズダンスが始まれば、試合終了のホイッスルまで踊りが止むことはない」
コーヒーを飲み終え口元に紙ナプキンを当てながら松戸君はおもむろに立ち上がったので、僕は彼を仰ぎ見るかたちになった。
「ま、まさか……踊ってくれるのかい?」
「もちろんだ」


そう言って松戸君はまるで青空一面に広がる雲をかき分けるようにダイナミックに手を振り、ローションマットの上を滑るお尻の小さい裸の女の子のような滑らかさでステップを踏んだ。その表情は南極の氷上で食べるどん兵衛のような温もりを僕に感じさせた。人の心の琴線に豆腐の角でそっと触れるような、優しくて親密な笑みを浮かべている。


「す、凄い…!」僕は知らず知らずのうちに立ち上がっていた。
松戸君はなおも激しくカズダンスを踊り続けている。不思議なことに、僕の耳にはスタジアムに響き渡る拍手や歓声が聴こえ始めていた。
「踊れ…お前も踊るんだ!さあ!」とお尻の小さい裸の女の子、いや、松戸君が声を張り上げる。

まるで蟻の群れに対してマシンガンをブッ放すゾウのごとき勢いで松戸君はステップを続けている。
サッカー選手やそのファンというのは本当に得点の度にこんなに激しいダンスを踊るのだろうか?
なんという体力の無駄使いだろう。
僕はおぼつかない足取りで見よう見まねのカズダンスを踊り始めた。


「フフフフンンンンン!!!!!!!そそそそそのののののの調調調調調調調調子子子子子子子子子だだだだだだだだだだだだ!!!!!!!!!!!」辺りに汗を撒き散らし、頭の先から尿道を通って足の爪の先までドリルのように体を振動させながら松戸君が叫ぶ。高速ステップは一層その速度を上げていた。そこに余裕というものは一切感じられない。

さきほどまで彼の顔に浮かんでいた親密な笑みは今では銀河の彼方まで押しやられ、代わりに誤ってマツコデラックスの尻の穴の最奥部に顔をねじり込んでしまった人のような険しい表情が形づくられている。ときおり思い出したかのように無理矢理笑顔をつくっているが、その笑顔は紙粘土でつくられたタイヤで走行を続けるレクサスのような印象を僕に与えた。


それにしても、なんというスピードだろう……。僕は昔、心を病んでいた頃に名探偵コナンのオープニングテーマで流れていたコナン君のパラパラを無心で一日見続けていたことがあるのだが、松戸君の体の動きはあのときのコナン君のパラパラを250倍速程度に上げたくらいのスピードがあった。
「でも俺はマツみたいに笑えないよ!」足をもつれさせながら僕は必死に叫ぶ。


「ばっかもおおおぉぉぉぉぉんッ!!!!


 笑ってなどいられるかぁッ!!


 心を無にしろッ!!

 
 感情を殺せッ!!」



そんなふうに松戸君に怒鳴られたのは長い付き合いでそれが初めてだった。
松戸君の動きはほとんど人間を超えかけていた。
彼はホモ・サピエンスをも置き去りにしようとしているのだ。


心を無に……


感情を殺す、か……


そうしてしばしの間ぎこちないカズダンスデニーズ店内で踊りながら、

僕は隣で人類の新たな進化を経験しようとしている男に向かってこう言った。



「俺が相談したかったのは、


 こういうことじゃない。」


〜 完 〜