読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

映画の脚本の話

今年の春先から関わってきた映画の脚本の仕事がようやく終わり、関係者との打ち上げを兼ねた忘年会に出席してきた。


普段はシャーペンの芯関係のコラムで生計を立てている僕には珍しい仕事であり、昔から映画には何らかの形で関わってみたいと考えてもいたので、二つ返事でお引き受けした仕事だった。


忘年会の二次会にて20世紀フォックスの担当者に物語の概要、プロットが出来上がるまでの簡単な経緯をブログに載せてもよいかと質問したところ、頭にネクタイを巻き便器に顔を突っ込みながら「いいんじゃないッスか? オエエェェェ」という快い返事を頂けたので、映画の内容をさわりだけでも記しておきたいと思う。


ちなみに20世紀フォックスからは、製作に関して以下の5つのポイントを提示されていた。


・題材(テーマ)は男女の愛を軸にしたものであること
・こどもから大人まで夢中になれる、わかりやすいプロットであること
・山場を前半に一度、後半に二度持ってくること
・人種差別などの表現は使用しないこと
・セックスシーンは扱ってはならないが、ラブシーンは盛り込むこと



これらのポイントから僕は「万人受け」という言葉を引き出した。
しかし、万人受けというものはともすれば「無難なもの」に変容しかねない。


そこで僕は物語冒頭に観客を引き込むような見せ場を持ってくることを思いついたのだった。
静かに物語を立ち上げるのではなく、最初から全開、フルスピードで展開させていくという意外性。
映画開始数分から畳み掛けるような展開にしておけば、観客はその勢いのまま作品世界にのめり込んでいけるだろうという狙いである。



まず始めに僕が考えた展開は、「豪華客船が氷山にぶつかり、船が真っ二つに折れて沈んでしまう」という大スペクタクルだった。船が真っ二つになるビジュアルはそれだけで観客の心を掴むインパクトがあるだろうし、船を舞台にすれば偶然乗り合わせた登場人物たちの悲劇というドラマチックな展開のさせ方も容易にできる。


僕は早速この線で脚本を書き始めたのだが、驚くことにこれとほぼ同じ内容の映画が90年代の終わりにすでに存在していたことが後日判明したのである……! それはタイタニックという作品で、ジェームズ・キャメロンとかいう新人が撮ったものらしかった。僕は年間140本近い映画を観ているのだが、海を舞台にした作品はジョーズ以外にはそう多くないと認識していたので、これには参ってしまった。


しかし同時に、僕の頭にある発想が浮かび上がった。いっそのことオマージュをやってしまうというのはどうだろう? 「タイタニック」がどれほどヒットした作品なのかは調べようがなかったのだが、仮に大ヒット作であれば誰の心にも「あっ、これは」という取っ掛かりをつくることができるし、マイナー作ならば映画ファンにはニヤリとしてもらえる筈だからだ。


だが単にオマージュするのでは能がない。そこで僕は「主人公が暮らす氷山に豪華客船が衝突し、主人公もろとも氷山が真っ二つになって沈んでいく」という、タイタニックとは逆の展開をさせてみることにした。

映画の始まりから主人公が氷山と共に海の底に沈んでいけば、誰でも「この先どうなるんだ」と思うに違いない。この案は考えれば考えるほど魅力的に感じられた。



さて、ヒロインをどの段階で登場させるのかという点も僕の悩みの種であった。

主人公は物語冒頭で海の底に沈んだ。となれば、当然ヒロインも海の底にいなければならない。二人は出会わなければならない運命なのだから。しかし、海の底にそうそう人などいるものではない。どうやって主人公とヒロインを出会わせるのが自然だろうか?


意外にも答えはあっさりとひらめいた。

主人公を陸に上がらせればよいのである。


泳いで陸に上がるというのは少々荒いような気がしたし、面白みにも欠ける。
そこでいっそのこと一度死なせてしまおう、と考えた。

映画の冒頭で主人公が命を落とすのだ。これならば観客を物語に引き込む要因にもなる。
そして、ニューヨークで本当の主人公が目覚めるのである。


つまりこういうことだ。


海の底に沈んだ主人公は、ニューヨークで目が覚めた主人公の分身だったのだ。

主人公は「分身の術」が使える伊賀の忍者の末裔だった、という事実がそこで判明するのである。海外の客ならば「ニンジャ イズ クール!」とそこで叫ぶだろうし、忍者がポピュラーなものである日本の観客には「そう来たか」と納得してもらえる筈だ。


自宅で目覚めた主人公は朝食を食べ、顔を洗い、いつものように職場へ向かう。

そしてなんという運命のイタズラか!

ニューヨークの曲がり角で、ヒロインの運転するダンプカーが主人公をはねてしまうのである!


血まみれになった白人の主人公は、ダンプカーから慌てて飛び降りた黒人のヒロインに向かって「問題ないさ。黒んぼプッシーちゃん」と優しく声をかける……それが二人の運命の出会いとなるわけだ。


セックスシーンを扱ってはならないという制約については、例えばキスシーンの後に場面が変わってびしょびしょに濡れたベッドだけが映されるなどの工夫で乗り越えることができたし、場面転換がきかないような屋外での性交渉のシーンでは突然宇宙人が地球に攻撃をしかけてきたり、一足早く2012年の世界滅亡の日が訪れてしまうといった展開を多用して切り抜けた。


ところで20世紀フォックス側からは後半に二度の山場を持ってくるよう指示されていたが、意外にもこれが難関となってしまった。上述のように、すでに宇宙人や世界滅亡といったアイデアを物語中盤で使用してしまったため、後半に持ってくる見せ場のネタがなくなってしまったのである。


何かいいアイデアはないかと頭を悩ませているうちに、これはもう地球を爆破させる以外に驚きはないだろうという結論に至った。終盤で巨大隕石の衝突により地球そのものを木っ端みじんにしてしまえば、見る人は「一体この先どうなってしまうんだ!?」という興味を持って映画のクライマックスに没入していくだろう。


が、しかし、地球が消滅してしまうとさらにもう一回残っている見せ場の制約をどう消化すればよいのか、最後の最後に非常に大きな課題が残ってしまう。宇宙人も出た。世界の滅亡も描いた。地球も消滅した……となるとラストは太陽の消滅、または銀河系の消失だろうか?


そのように考えていくうちに、ビジュアル面でのスペクタクルの規模を大きくしていくだけでは地球消滅以上の衝撃は与えられないのではないかと思うようになった。観客にしてみれば地球が宇宙のゴミになった時点で驚きは最高点に達している筈だ。


とするならば、最後はまったく別の切り口で攻めてみるべきである。

誰も想像すらしなかった、驚愕のラストシーンを用意するのだ。

それも映像のインパクトではなく、心理的に観客をあっと驚かせるようなもの……。


僕の考えた案はこんな感じだ。



地球が消滅し、画面は暗転する。

次の瞬間、海を行く巨大な豪華客船が観客の目の前に現れる。

そう、映画の冒頭に登場した、あの船である。

観客は首をひねるだろう。地球が粉々になる前まで時間軸が戻っているのだろうか?

しかし何日前などといった表記は画面上には一切現れない。

そして、船の先端に立つ一人の女をカメラは捉える。


それは物語のヒロインである黒人女性の姿であった。


前方に徐々に氷山の群れが見えてくる。

女は手にした懐中時計に目を落とし、小さく、不気味に微笑んでこう言う。


「今日という日は、残りの人生の最初の一日……」



再び画面が暗転し、エンドロール。


まさに奇をてらった意味深長なラストシーンである。

多くの謎を残したまま閉じられる物語に観客はしばし呆然とするに違いない。

中にはもう一度映画を観直そうという人も出てくるかもしれない。


20世紀フォックス側にこのプロットを提出した際も物語の展開自体は好意をもって受け入れられたのだが、ラストに対する反応は実に様々だった。しかし監督のスティーヴン・スピルバーグ氏の英断により「このラストで行こう!」ということになった。


このスピルバーグという男、どんな映画を撮っているか知らないがかなりのやり手だな、と僕は強く思った。


そのようにしてついに脚本は完成に至ったのである。

キャストも決まり、今月の頭からすでに撮影は開始されていると聞いた。

公開は来年末を予定しているとのことである。是非楽しみにしていただきたい。



ところで忘年会の二次会の席で、スピルバーグ「結局あのラストの意味は何だったんだね?」と聞かれた。


僕は眉根を寄せて、しばらくの間難しい顔で虚空を睨みつけていたと思う。



そうして15分ほど考えた後で、


隣で鶏の軟骨を頬張るスピルバーグに向かって僕はこう答えた。





「まったくわかりません」



- 完 -