夢を凌駕した最高の現実

まず始めに謝罪と反省をしなければならない。

 

前回のブログ記事にて、村田諒太選手には『ほぼ全くと言っていいほど期待していない』などと地球をこしらえるだけこしらえて後はほったらかしにしている神のような視点で書き散らして、すいませんでしたああぁxあぁxaアアアァァァァーーーーーー!!!

 

というワケで、穴があったら入りたいどころかすでに地中7200mほど体をメリ込ませながら、Wi-Fiってここまで届くんだぁと感心しつつゲンナジー・ゴロフキンVS村田諒太の観戦記を記そうと思う。

 

ド緊張の1Rを見て、村田がロブ・ブラントとの第二戦と同じく玉砕覚悟戦法をとっていることに安堵した。それこそが村田の最善策だからだ。

開始早々、ゴロフキンのジャブが当たりは浅いものの軽々と着弾しており、今までの相手との格の違いを感じさせられたが、一方で村田のプレスも明確に機能している意外な立ち上がり。

村田はいつものワンツー主体の攻撃だが、これは全てゴロフキンにブロックされていた。当然のことながら固いし、目もいい。しかし2分過ぎにガードの上ではあったものの、村田がドンピシャのタイミングで左ボディを打っていたのが何よりも印象に残った。あのタイミングで打てるなら、いずれクリーンヒットするのでは? なにせ村田は前回書いたように、このボディショットで五輪を獲った男なのだ。

 

驚くべきことにそのボディ打ちが2Rから決まり始めた。私が村田にポイントを振ったラウンドは2Rと3Rだが、いずれもボディショットを評価してのものだ。ゴロフキンの表情からも「これあんまりコイツの好きにさせとくべきじゃねーな」というのが窺えた。明らかにボディを嫌がっている……信じられない光景であった。

 

しかし、天才は天才だった。ゴロフキンは4Rからブロックの位置をわずかに修正し、村田のボディ打ちに対応し始めたのだ。加えて、自身のプレスを上げて徐々に攻撃に重点を置き始めた。防御力を上げつつ攻撃力を高めるということが簡単に出来てしまう適応力の高さが、すなわちゴロフキンの怖さだ。

思うにゴロフキンと村田が演じるインファイトにおいて決定的な違いとは、ナックルパートで当てられているかどうかなのではないか。ゴロフキンのフックはあまりにも独特な角度と軌道を持っていながら、着弾時にはきちんとナックルが返っている。何故あんな異質な攻撃が可能なのか、理由は分からない。よほど身体に柔軟性があるのか、剛性を宿しながら異常なほどしなやかな筋肉をしているように見受けられる。一方の村田は、フックは打つもののナックルが返っていないのでパンチが面として着弾できていない。要するに当たりが浅い。

5R半ば、その異質な〝打ち下ろし〟の左フックが村田の額を捉えた。額という頑丈な部位でありながら、正直、村田はかなり効いたと思う。村田が攻撃の度に唸り声を上げ始めたのもこのラウンドからだ。オーバーペースなのは明らかであり作戦でもあるが、結果、以降のラウンドはボディ攻撃が減りガードに費やす時間が長くなった。6Rもマウスピースが吹っ飛ぶほどの右フックなど、要所要所でゴロフキンの凶悪さが目立ってきた。ジリ貧というやつだ。

 

9Rの陣営判断によるストップについては、至極妥当だと思う。あれ以上〝耐え続けさせること〟に意味はなかったし、村田の体から意識ならぬ意志が欠け始めていたようにも見えたからだ。

 

一夜経ったにも関わらず、未だに私が夢見心地なのは、それだけ内容が素晴らしい好ファイトだったからだ。なにせ前述の通り、私は村田に期待をしていなかったのだ。それ程にゴロフキンを高く評価していたし、村田を過小評価していた。恥ずべきことだと今では思う。

 

『一矢報いてくれれば……』そんなボクシングファンの夢を、自らのタフネスによって、自らのパワーと頑ななまでの前進によって、村田は体現したのだ。〝一矢〟どころではない。それは夢のような数の矢だった。日本が誇る金メダリストであり世界王者は、夢を遥かに超えた最高の現実を見せてくれた。村田諒太というファイターとゲンナジー・ゴロフキンという理性ある野獣に、感謝しかない。

 

-了-