フリーランスは快感のない生き方か?

昨年4月に独立をして、無職と見分けのつかないフリーランス業をヤケクソで続けてきた結果、なんとか毎日ベルーガキャビアヤマザキの〝ダブルソフト〟にぶっかけて食べられる程度には稼げるようになった。

会社員時代と違い、働く時間も場所も自由に選べるフリーランスデザイナーという生き方には満足しているが、一方で失ったものもあるのではないかと感じている。

 

それは一体何かというと、ズバリ『快感』である。

 

コロナの緊急事態宣言が解除されてから度々開かれるようになった飲み会で、友人達が見せる〝仕事後の一杯〟がとにかく美味そうなのだ。もちろん私も同じビールを口にしているわけで、味に違いなどない。しかし彼らのビールを飲んだ後のリアクション、あれは何だ?

ある者は歓喜の涙を流し、またある者はムカつく上司の写真を八つ裂きにして火を点けている。友人の田崎君に至っては、会社に電話をかけて「えっ!?まだ残業で消耗してんの? こっちは飲み始めてるから!乙でぇぇ〜ッスww」と同僚に煽りを入れた上でイッキを始める始末。よく社会人生活が送れているなと感心する。

このように、皆それぞれに労働から解放された喜びを表現しているのだが、私にはそれがない。なにせ嫌な上司もいないし、勤務時間も自分のやる気次第だ。今日の仕事はここまで、と決めてそれを達成したところで、彼らのように半裸で頭にネクタイという姿になってビールを瓶からラッパ飲みする程の感情は湧き上がってこない。それが私は寂しい。

 

思えば、私も会社員時代は退勤一時間前から尻ポケットに忍ばせたウイスキーのミニボトルをちびちびやり始め、タイムカードを押す頃には酩酊、本能で向かった酒場でさらに飲み続けながら会社に電話をかけて「えっ!?まだ残業で消耗してんの? ねぇ、その仕事って、やってて楽しい?ww」と同僚を煽り始めるような状態だった。よく社会人生活が送れていたなと我ながら驚く。

つまり、労働から解放された喜びが快感へと直結していたのだ。フリーランスになったことで、私は労働における拘束の苦しみを忘れてしまっていた。友人達が味わっているような〝仕事後の一杯〟を私が享受するには、ある程度ストレスとなる制約が必要不可欠なのだろう。「プハアァァァーーーーーッ!! 生き返る!!!」とビールを飲み干し、酔った勢いで社用携帯にハンマーを振り下ろす友人を見て心底そう思った。

 

田崎君に至っては、「じゃ、俺ひと足先に失礼するわ! この後、会社に戻って仕事の続きあるから!!」と、千鳥足ながら社用車に乗り込み、サッサと帰ってしまった。

 

よく社会人生活が送れているなと、つくづく感心する。

 

-了-