9つの街 中編

無数の釘が打ちつけられた炊飯釜のような妙な外見のメットを頭に装着し、安田くんは増田さんの指示に従って操作盤にタッチした。安田くんの手が触れるたびに操作盤はキュンだとかポコンといった間抜けな音を上げて、増田さんの「R10、L22!」という叫びに安田くんは必死に食らいついて反応し、忙しげに操作盤を叩き続けた。


わたしは二人のそんな様子をもうかれこれ30分近く、木製の椅子に腰掛けてじっと見つめている。


「R5リターン、ウェル!」というひときわ大きい増田さんのかけ声とともに安田くんは操作盤の上部に取り付けてある巨大なマシュマロ型の装置に手を当てて、ぐーっとマシュマロの中に手を押し込むのだけれど、安田くんの手を受け入れる装置のぷにぷにとした感じや手触りを想像して、わたしは一人ニヤけた。

「ヤス、お前ノロマだが飲み込みは早いな」と増田さんはお腹を揺らせながら嬉しそうに喋り、安田くんは恥ずかしそうに頭を下げた。


増田さんは私のほうを見て「ニカッ」という音が聴こえてきそうな感じで口を開け、
「待ってなよ嬢ちゃん、もうじき彼氏のつくったマクラが出てくらぁ」
なんて言うものだから、思わず私は首をぶるぶると横に振った。
増田さんはどう解釈したのかわからないけれどうんうんと首を縦に振り、
「ま、あんま期待できねっけどな!」
と今度は安田くんに例のニカッを向けて、カラカラと笑った。


考えてみればフイミルの街に戻ってきてからはずっと安田くんと一緒に行動していたから、街の人々の目にはわたしたちがカップルとして映っていたかもしれなくて、わたしは安田くんと並んで歩く自分を頭の中に浮かべてみたのだけれど、そのとき改めてわたしは安田くんとの身長差を意識した。

もちろん並んで歩いているときだって背の低いわたしは長身の安田くんを見上げる格好で話すことになるから、彼の背の高さは常に意識していたけれど、周りからはきっとデコボコカップルみたいに映っていたに違いなくて、この何もない街でわたしたちがどれだけ目立っていたかということを想像するとすごく恥ずかしい。


「ほうら、出ってきったぞぉ」
歌うような調子で増田さんが手をこすり合わせながら言うと、さっき安田くんが格闘していた操作盤の下部から続くベルトコンベアに乗って、ごんごんという音とともに奇妙な形をしたこんにゃくが運ばれてきた。

「あぁ……」珍しく安田くんが悲しげな声を上げて、そうっとこんにゃくを手に取る。
「全然、ダメだ、カタチになって、いない。どうしてだろう」
たしかにこんにゃくはお世辞にもマクラとは言いがたいぐちゃぐちゃになったカボチャみたいな形をしていて、安田くんの腕の中でぶるぶると震えている。

増田さんは安田くんの抱えるこんにゃくを見て、
「ふふん、やはりちぃっとばかし反応が遅かったな。ウェルを押し込むタイミングも悪かったぜ」
と言った。ウェルというのはあのマシュマロみたいな装置のことだろうか、わたしは操作盤をしばらく眺め、また安田くんに抱えられて揺れる不格好なこんにゃくに目を戻した。





増田さんの家を出る頃には日も暮れて、どこからか漂ってくる香ばしい匂いに体がふっと軽くなる。わたしは少しだけ安田くんと距離を置いて歩いた。


安田くんは「悔しい、から」と言ってこんにゃくマクラの失敗作を風呂敷に包んで持ち帰ってきていて、マクラづくりを思い返しているのか口をきゅっと結んでうつむいて歩いていた。正直に言うけれど、安田くんのそんな負けん気というかひたむきさにわたしはけっこう打ちのめされた。

安田くんが目標に向けて頑張ってるところを見ればわたしも少しはやる気が出るかな、くらいの軽い気持ちで彼について行ったことが情けなくて、結局やる気どころか自分には打ち込めるものが何もないんだという現実を再確認することになってしまった。


わたしはこの街で何を見つけるのだろう?

やっぱり綾花と唯と一緒にディニズの街に残るべきだったかもしれない、今からでも遅くはないよね、そんな考えがぽっと浮かんだものの、すぐに消散して頭の中はからっぽになった。


からっぽ。


わたしは何も持ち合わせがないから、この街に戻ってきたのかもしれない。





宿屋のベッドに寝転びながら学校で配布された「9つの街 進路選定ガイド」を眺めていると、枕元に置いた携帯電話が短く鳴った。早苗からのメールで、『失恋したあ!』という文面の後にケーキの絵文字がいくつも貼り付いている。思わずわたしは吹き出して、失恋ケーキにかじりつく早苗を想像した。

早苗は失恋するたびにケーキを大量に買い込んでその晩のうちにすべて食べ切るという、わたしたちの間では「儀式」と呼ばれるヤケ食いをするのだけれど、あまりにも多く買い過ぎて残ってしまったケーキを食べるのに付き合ったことが何度かあって、「ばか、ばか」とぼろぼろ涙をこぼして必死にケーキを口に運ぶ早苗の顔が浮かんで、わたしはその懐かしさに気が遠くなった。

最後に失恋ケーキに付き合ったのは街巡りを始めるちょっと前のことで、もうあれから4ヶ月も経ってしまっているのだという現実が、どすんと私の前に腰を据える。


どうせいつものようにケーキに食べ飽きたら電話がかかってくるだろうと思い、わたしは携帯を再び枕元に置いてぼうっと天井を眺めていて、このまま眠くなったらもう今日は寝ちゃってもいいかなぁとぼんやり思っていたら意外とすぐに電話が鳴った。

しかしそれはトオルからの着信で、わたしは携帯のメロディを聴きながら出ようか出まいか迷ったけれど、あいつと話せば決断力がないだの夢はないのかだのうだうだ言われるに決まっていて、そうかと思えばいつの間にか、もう一度やり直さないかみたいな話にすり替わっていて……と考えていたらやっぱりいつも通り怒りがふつふつと涌いてきたので、電話に出ることはやめた。


それからしばらくの間はまた天井を何も考えずに見つめていて、うとうとしかけたところでようやく早苗から電話が掛かってきた。


「ねぇ、あたしもうダメかもぉ」としゃくり上げながら早苗はわたしが電話に出るなり言って、ずいぶん長いこと恋の顛末を話し続けていたのだけれど、それに飽きると今度は空中浮遊術に話題が移ってそこからソラニの街や他の街のことも話して、するとわたしは昼間の喫茶店や増田さんの家での安田くんのことを思い出してひとしきり喋った。


そうした話が気づいたら学校での思い出話になっていて、思い出の引力に吸い寄せられるように綾花や唯のことが今度は話題に上がり、そんなふうにどんどん過去を遡るようにして、わたしたちは飽きる事なく思い出を語り直していった。



※後編に続きます。