JAZZの魅力について

JAZZが好きだ。

セロニアス・モンクキース・ジャレットマイルス・デイヴィス……なにひとつ楽器の弾けない俺でも、彼らが生み出すジャズの根底に流れるどこか切ない空気には妙に心を惹かれ、理解できているとは言い難くもむさぼるようにジャズを浴び続けてきた。


言葉では非常に捉えにくい「分かりにくさ」、それこそが俺にとってのジャズの最大の魅力なのかもしれない。一流の絵画を前にした時に背筋がピンと伸びる、あの感覚に少し似ているだろうか。自分の能力を遥かに超えた、圧倒的な才能によって成されたものを前にしたときに生じる感覚……少しでも理解したい、近づきたいと思うけれど、結局のところ俺には揺さぶられた心の動きを追うことしかできないのだ。しかしおそらく、その心の動きを追うという行為そのものが、JAZZを聴くということなのだと思う。


例えば、俺がプテラノドンの背にまたがって大西洋を横断していたとしよう。


俺の胸に去来するのは、故郷に置いてきた妻と幼い子供たちの姿だ……性欲おう盛なトドみたいなカミさんに恵まれたこともあり、我がファミリーは12人の大所帯となっていた。その頃にはさすがの俺も、もう煙しか出なくなっていた。


一家の大黒柱として、俺はがむしゃらに狩りに出た。町田、八王子、立川……西東京は俺の庭だった。ブタに羊に町田リス園のリス、狩れるものは何でも狩った。しかし、メインの狩り場にしていた海老名サービスエリア近辺にT・レックスの親族一同が現れるようになってからというもの、飯にありつけない日が多くなり、とうとう家の電気と水道も止められてしまったのだ。憎きT・レックスの足に向かって投げた石斧が「コン」と小気味よい音を立てて弾かれた時、俺は西東京での生活が終わったことを悟り、絶望した。


そんなワケで、俺は新天地を求めて空へ飛び立ったのである。


ひょっとしたら俺は家族との日々を懐かしみ、プテラノドンの背で涙をこぼすかもしれない……ペットで飼ってたネコたちに会えないのもマジで苦痛だ。。。そんなとき、プテラノドンが首をキュッと上げ、「クエエェーッ!!」とひと鳴きする……果たしてその時俺は、何を想うだろうか……。


つまるところ、そういった感情の機微こそが、


すなわちプテラノドンの魅力なのだ。


〜了〜