7月24日雑記雑文「夢で行ったマレーシア」

小さな風邪の話
・先日の3連休が終わるなり一気に体調が悪くなって、見事に風邪を引いた。僕は元来丈夫な体で、たとえば小学生時代なんかは登校中に車にはねられて前歯を6本失ってもそのまま授業を受け、下校中に意識を失ってその後一ヶ月入院したくらいタフな少年だった。それが忘れもしない社会人2年目、クーラーのガンガンに効いた部屋で氷風呂に浸かりながらかき氷を頬張っていたら「インフルエンザ」にかかり、手錠をかけられたまま三途の川へ放り込まれたような本物の地獄を味わった。


毎日毎日死ぬかと思うくらい意識が朦朧として、体が熱を帯び、体毛がわっさわっさ増え、口が耳まで裂けて牙が生え、胸のコアが体外にずるりと表出し、全身に歴代の横綱の名前が次々に浮かび上がってきた……そんな日々が2週間近く続いた末についにインフルエンザから立ち直り、ようやく僕は元の人間に戻ることが出来たのだった。しかしどういうわけかそれ以来、毎年律儀に風邪を引く体になってしまったのだ。

これは本当に不思議だ。体がいささかヤワになってしまったのだろうか。「あんな酷いインフルエンザにかかるくらいなら、毎年比較的弱いウイルスを体に仕入れて少しでも免疫をつけさせてやろう」という余計な計らいなのであろうか? 例年症状は重くないのだがまず最初に喉が痛くなり、喉の痛みが消えると鼻水が出始め、鼻水が止まると咳が出るようになり、しばらくその状態が続いて治る…というフルコースである。喉の痛みだけで済む、ということがない点も実に不思議なのだ。なんなんだろこれ。



夢で行ったマレーシア
・覚えている限り、夜眠って起きたら朝だったという経験をしたことがない。僕はとにかく眠りが浅い。夜中に目を覚まさない日というのが記憶にある限り本当に一度もない。そんな眠りの浅さが影響してるのかは知らないけれど、夢はほぼ毎晩見ていて、最近は長尺というか物語仕立てになっていて眠るのが楽しく感じる。昨晩はマレーシアへ夢旅行へ行ってきた。正確には旅行ではなくテレビ番組の出演で行ったのだけれど。

僕は特に理由も説明されぬまま、「テレビの人」と名乗るスーツの連中に半ば無理やりミニバンに乗せられて空港へ連れて行かれた。行きの車の中でテレビの人たちは名刺をくれたのだが(何故か一番偉そうな一人が他の連中の分の名刺も配っていた)、名刺にも「テレビの人」という肩書きが記載されていたので「おお、俺はホントにこれからテレビに出るのか…!」とごく自然に納得してしまった。


空港に着くと何故か大音量で「カラス なぜ鳴くの」のフレーズで有名な『七つの子』が流れていて驚いたのだが、テレビの人たちも周りの空港利用客も平然としていたので僕もすました顔をしていた。出国の手続きといった面倒なことは一切なく、僕らは飛行機へ乗り込んだ。機内でのことはあまり記憶にない。何だかやたら薄暗い照明だな、と思った点は覚えているのだが、夢特有のショーットカットなのか単に忘れているだけなのか、次に僕が夢の中で「意識」を取り戻したのはマレーシアの街並の中だった。


はっきり言って僕はマレーシアに興味がない。マレーシアに関する知識もないのでどんな特色があるのかもまるっきり分からない。そんなワケで夢の中のマレーシアの光景も多分に日本の影響を受けているというか、東京でいうところの銀座っぽい街並をしていた。中背のビルがくっつき合うようにして並んでおり、どの建物からも背丈比べでは勝負がつかないので外装で目立ってやろうといった気概が感じられた。僕はテレビの人たちに案内されてマレーシアのテレビ局へ向かった。

テレビ局のビルはなんだか変だった。いや、ヘンだったのはテレビの人たちのほうかもしれない。どう見ても「ここが入り口です」といった構えの立派な入り口があるのに、彼らは「こっちが入り口だ」と言ってビルの横にある下り坂を下りて行く。その下り坂はちょうどビルを中心にして弧を描くように道がつくられていて、僕らはビルのほぼ真後ろへと歩いて来た。テレビの人たちはいかにも「ここが裏口です」といった雰囲気の錆びたドアを開けて中へ入って行ったので、僕もそれに続いた。


本当にいい加減な夢で困るが、そのまましばらくまっすぐ歩くとテレビ収録のスタジオセットが用意されたとてつもなく大きな広間に出た。玄関直結のテレビスタジオである。テレビの人たちがパァン!と手を叩くとテレビ関係者たちが一斉にこちらを振り向き、マイクを持った胡散臭そうな男が電子レンジでチンしてつくったような安っぽい笑みを浮かべて僕の前に立った。テレビの人たちの説明でこのマイクを持った男が番組の司会者であることが分かったけれど、僕は男を見た瞬間からそんなことは知っていた。

というのも、男はカレーが好きでしょうがなくなったみのもんたといった風貌だったからだ。カレーが好きでしょうがない、というのはインド人の比喩である。そう、僕の夢の中のマレーシア人はみんなインド人のような外見をしていた。みのに至ってはターバンも巻いていた。もちろんマレーシア人がインド人に似ているかどうかなんてこと、僕はまったく知らない。


「○×△□…!!!!」とカレー好きのみのは甲高い声で僕にまくしたててきた。マレーシアの言葉なのだろうか、全然理解できずにいる僕にテレビの人たちが「きみがマレーシア拳法のチャンピオンか!」と言っているのだと説明してくれて、僕は面食らった。マレーシア拳法ってなんだ?!


聞くところによると、夢の中の僕はマレーシア拳法の日本チャンプとしてマレーシア拳法のマレーシアチャンプと番組で対決するのだそうだ。ンなことテレビの人たちはひと言も言ってなかったじゃないか、と僕は当然抗議した。ついでに言えばマレーシア拳法の日本チャンプであることも今知ったのだし。しかし、みのはそれで構わないといった調子で僕の手を引っぱってスタジオの特設リングへ向かった。正直、マレーシア拳法でぶちのめしてやりたかった。


着替えろと言って手渡された日本の柔道着に袖を通していると、マレーシアチャンプと思しき大男が向こうからカッポカッポと近づいてきた。カッポカッポ……大男は何を考えているのか馬に乗ってやって来たのだ。僕は僕で馬を見た瞬間「ひょっとしてこれカメラもう回ってるのか…?」とか余計なことを考え始めていた。もはや何でもありであるが、大男の隣にこれまたどういうわけかドラゴンボール界王神というキャラクターが浮いていて、何というかそこで僕はウンザリしてしまった。夢は大男が馬から降りてみのとテレビの人たちにちやほやされているのをリング上から眺めているという非常に中途半端なところで終わった。目覚めたときは夜中の4時過ぎで、僕が一度目を覚ましてしまういつもの時間帯であった。


あのまま夢を見続けていたら、僕はマレーシア拳法のマレーシアチャンプとやり合っていたのだろうか? 界王神様の役どころは何だったのだろうか? 味方なのかと思っていたテレビの人たちがマレーシアチャンプをやたらヨイショしてたのはどういうことなのだろうか? そもそも僕は一体いつマレーシア拳法を習得していたのか? ただひたすら疲労がたまる夢であった。


そんなワケで、



僕はもう二度と、


マレーシアには行きたくない。