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手紙

他に何か、書き忘れたことはないかな。僕は慎重に文章を読み返す。


一年に一度きりなのだから、どんな些細なことでもいい、伝えたいことはすべて伝えておかなければ。


つい最近となりに引っ越してきた猫なで声の女の子のことは書いた(それがとにかく可愛いのだ、キミに似て)、僕らがたまに、思い出したように通っていたあの古い映画館が閉館しそうなことも書いた(館主の義眼のおじいさんに直接聞かされたのだ)。

まだ新しい恋を始めていないことも、そのきざしすらないことも書いた。
もう丸2年だ。まったく、僕はひからびちまいそうだよ。


僕は畳んで財布に入れてある、向こうにいる彼女から昨年受け取った手紙をひっぱりだして再び目を通してみた。
何度も読み返して一字一句頭で覚えている手紙だ。


『わたしのことは気にしないで、新しい恋をしてね。大丈夫、すべてがきっとよくなるから。』


すべてがきっとよくなる。それが彼女の口癖だった。
口癖というのは死んでも忘れないものらしい。

最後にもう一度昨年彼女から届いた手紙を読み返し、今年僕が送る分の手紙を慎重に読み返し、喫煙スペースで煙草をふた口ほど吸った後で僕は受付へと歩いていった。


窓口にいる焦げたトーストみたいな顔色の係員に身分証と故人登録カードを差し出すと、係員は「恋人?」と聞いてきた。恋人、と僕が答えると「御愁傷さま」と手短に言い、係員は僕の手紙にハンコを押した。


「2000年11月20日までに亡くなられた方へのお手紙を投函される方はAブロックへお進みくださーい!」
係員がスピーカーで叫んでいる。例年通り投函スペースは混み合っていた。
彼女は2年前の今日、この世を去った。僕は人々の間を縫ってBブロックへと歩いていく。

投函までのこの瞬間が、僕はとにかく苦手だった。書き忘れたことはないか。そればかりが頭の中をぐるぐる回る。
生きていた頃の彼女の声が微かに頭の奥に響いてくる。
僕は大きくひとつ息を吐き、気持ちを落ち着かせる。


すべてがきっと、よくなるから。

彼女の声がはっきりと言う。


「次の方、どうぞ」係員の声に僕の身体が反応する。

頭の中ではなおも彼女の声が響いている。


すべてがきっと、よくなる。声に出してつぶやいてみる。



目の前の赤い、とても赤いポストに、僕は手紙を投函した。


〜Fin〜