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職場のボーイズライフ 後編

ノスタルジー

後編



ゆでたまごで負った怪我が完治し、私は二週間ぶりに出社した。

「おはよう、米田君」と、コーヒーカップを両手に持った洋子が声をかけた。


私は洋子からカップを受け取り、例の新雑誌の制作状況を聞いてみた。
洋子は笑顔で「順調よ」と応えると、デスク上のボックスファイルから企画書を取り出し、私に見せた。
企画書に目を通した私は、ベッドの上で重なり合う砂かけ婆と子泣き爺を偶然目にしてしまったぬりかべのように固まった。


「馬鹿な……!! 『もうすぐ潰れる日本のデパート ベスト100』だと?!」


私はもう一度企画書に目を通し、「企画立案:アメリカ・アマゾン」と下品でバカでかいゴシック体で書かれた文字の横に載せられた「小生の友人・田崎君」という誰だか知らない人間の結婚式の写真にいらだちを覚えながら「正気か?」と洋子に言った。

「アメリカさんが、広く世間を巻き込むにはこれしかないって。たしかにタイトルはもう少しブラッシュアップする必要があると思うけれど、ようは閉店セールの情報誌なのよ。時代の空気をうまく読み取ったテーマだと思うわ」

閉店セールの情報誌など、聞いたこともない。
私の脳裏に編集長の例の言葉がよぎった。

『核爆発……』


「おやおや、ベーダ殿!! 生きておられましたか!!」
アメリカ・アマゾンが肩にリスを乗せ、スタッドレスタイヤを転がしながら私たちへ近づいてきた。 口の端からだらしなく垂れ下がっている舌は、この前会ったときより30cmばかり伸びているように見えた。

「おはようございますアメリカさん。どうしたんです、そのタイヤ……?」
洋子の問いに答える代わりにアメリカはスタッドレスタイヤのホイールを素手で外し、タイヤを持ち上げて頭からすっぽりとかぶってリスと一緒に満足そうに何度も頷いた。

「……で、何の真似だ、それは?」私はフライパンの上で絶命したゴキブリを見るような目でアメリカの首にかけられたタイヤを眺めた。

「わかりません」と、アメリカは即答した。

私はため息をついてコーヒーを啜った。
「アメリカさん、先行で回していた原稿が午前中には上がってきそうなので、後でまとめて目を通してくださいね」洋子がアメリカに声をかける。

「けっこうけっこう! 小生も今日中には残りの20の物件をまとめられそうですぞ」
「じゃあその20のデパートの原稿づくりは、米田君にも協力してもらおっかなぁ……?」

洋子とアメリカのやりとりを聞いているうちに私は寒気がしてきた。

「ちょ、ちょっと待ってくれ!! 残り20の物件て、まさか『もうすぐ潰れる日本のデパート ベスト100』ってのは、すでに進行しているのか?!」

「何言ってるのよ、あたりまえじゃない。発売まで残り二週間、頑張りましょう!」



* 



アメリカがまとめたという、もうすぐ潰れそうなデパート80位から100位までの残り20の物件リストを見て、私はある種の絶望を感じずにはいられなかった。


以下がリストの内容である。

第80位 洋服の青山 八王子めじろ台
第81位 洋服の青山 荻窪駅前店
第82位 洋服の青山 京都伏見店
第83位 松坂屋 上野店
第84位 洋服の青山 奈良押熊店
第85位 洋服の青山 つくば研究学園店
第86位 洋服の青山…………
第87位 洋服の青山…………
第88位 洋服の青山…………

83位の松坂屋を除き、100位までのリストはすべて洋服の青山で埋められていた。
たしかに洋服の青山の前を通る度に『閉店セール』のポスターやのぼりを目にすることは度々あった。

しかし……


「青山は、デパートじゃない」

私はアメリカにリストを叩き返した。
「大体、どう考えてもこんな雑誌で勝手に取り上げるのは83位の松坂屋 上野店に失礼だ」


「ふぅむ……それは困りましたなぁ」アメリカは肩に乗せていたリスをそっとデスクの上に降ろし、中学生の保健体育の教科書が山と積まれたデスクの上から今回の雑誌のランキングに関わる資料を取り出して私に見せた。


「なッ……こ、これはぁッ……!!?」思わず私は絶叫した。


以下が資料の内容である。

第1位 三越 池袋店
第2位 洋服の青山 徳島常三島店
第3位 洋服の青山 信州中野
第4位 洋服の青山 八戸城下店
第5位 洋服の青山 札幌宮の沢店
第6位 洋服の青山 沼津本店
第7位 洋服の青山 鹿屋バイパス店
第8位 洋服の青山 長崎松が枝店

・・・・・・・・・・

第78位 洋服の青山 大阪弁天町店
第79位 洋服の青山 調布駅南口店


「馬鹿な……1位以外、全部洋服の青山じゃないかッ?!」

「閉店しそうなデパートが意外と少なくて、あのぉ、そのぉ……」
アメリカはもじもじしながらスタッドレスタイヤの中にすっぽり顔を引っ込めた。

「こ、この野郎ッ……!! 何が『もうすぐ潰れる日本のデパート ベスト100』だ!!」アメリカ・アマゾンもとい、スタッドレスタイヤを小突く私を、デスクの上のリスが悲しそうな目で見つめていた。

「た、大変よ、米田君!!」と、洋子が息を切らせて駆け寄ってきた。

「ど、どうした?」
「それが……1位の三越 池袋店なんだけど、とっくの昔に閉店しているらしいのよ!!」
「へ、閉店している?!」
「そうなの……どうしよう……。アメリカさん、何かいい知恵はありませんか?」

洋子はスタッドレスタイヤを覗き込んだ。
「無駄だ、こんな奴……」私は煙草が吸いたくていらいらしてきた。


するとアメリカはスタッドレスタイヤから顔をひょいと出し、「そうか!!」と叫んだ。


「思いつきましたぞ……! 最高のアイデアを!!」アメリカは両腕を高く上げようとしたが、首にかけたタイヤにひっかかって「T」の字くらいにしかならなかった。


洋子は目を輝かせ、私は道ばたに落ちたひじきでも見るような目で続きを待った。


「つまりです、雑誌のタイトルを洋服の青山 閉店セール ベスト100』に変えればよいのではないでしょうか?!」

「ばっ、馬鹿な……ありえんッ!!」
「凄い! その手がありましたね!!」
と、私と洋子はほぼ同時に叫び声を上げた。





原稿をデザイナーに渡し、レイアウトを組んでいく作業の時間を考えたら、もはや振り出しに戻ることなどできなかった。


結局『もうすぐ潰れる日本のデパート ベスト100』洋服の青山 閉店セール ベスト100』に形を変え、全国の書店に並ぶこととなった。


「なんだか、感慨深いものがありますね……」
発売後、書店に山と積まれた『洋服の青山 閉店セール ベスト100』を前に、洋子が呟いた。

「ああ……こんなもんをこれだけ積んで、何を考えてるんだろうな、この書店は……」
私は目眩と吐き気を感じながら言った。


「小生はね……」と、アメリカは闘牛にまたがって静かに語り始めた。

「小生はこの雑誌を、多くの人に届けたい、そう心から願っています。洋服の青山ファンだけでなく、何かの間違いでこの雑誌を手に取ってしまった人たちが『青山ってこうなんだ』、『青山ってカッコいいじゃん』、そう思ってくれることを期待しているのです。それこそ、80、90代の老人がこの雑誌を手に取って青山へ向かうなんてことを……将来を悲観して自分の殻の中に閉じこもってしまった若者たちが、この雑誌を入り口に青山へ向かうなんてことを……小生は、期待しているのです」
そういい終えると、アメリカはどうだと言わんばかりに闘牛の上で腕を組み、盛大な放屁をひとつかましてみせた。


「アメリカ……」それ以上私は何も言うことができなかった。


そのとき、この世の中でもっともくだらないことが私の身に起きた。


私は、泣いていた。


肩を震わせ、私は泣いていたのだ。




もちろん、悔し涙だった。



〜完〜