アングラ・ワークス・サマー・ホリディ

パソコンのデータ整理をしていたら、ひどく懐かしいものが出てきた。


『私の妻を抱いてくれませんか?』というタイトルの、いささか衝撃的な内容の文章が書き込まれたファイルである。
他にも『セックスのコト、教えてほしぃ…』『今夜限定☆割切りH希望』といった際どい内容が書かれた文章ファイルが山のように出てきた。

いわゆる「迷惑メール」スパムメールの原稿である。


……恥ずかしながら、すべて私が手がけたものだ。


以前の記事でも書いた通り(http://goo.gl/H7mo5)、私は一時期もの書きの世界に身を置いていたことがあった。


当時私はびっくりするくらい金がなかった。音楽ライターはとても面白かったしやりがいもあったが、金額面で満足出来るような仕事ではなかった。そこで私は副業として雑誌の提灯記事なんかを書いて生活費の足しにしていた。

アダルト関係の仕事も割合多く手がけていたのだが、ある日知り合いの編集者から「友人が運営している出会い系サイトのメールをつくってみないか?」と誘いを受け、私はこれを二つ返事で快諾した。

かくして、私は迷惑メール作家になったのだった。

私にはそういった類の文章を書く素質があったのか、業者にもなかなかウケがよく、迷惑メールの作成依頼は日に日に増えていった。


今回はそんな私の黒歴史ともいうべき時代の創作文をいくつかご紹介しようと思う。

※記事の閲覧は個々人の判断にお任せしますが、あくまでも迷惑メールですので内容は極めて下品であり、そうした低俗な文章に気分を害される方もいらっしゃるであろうことを予め断っておきます。なお、各サイトともURLの表記はカットしています。



件名拙者、江戸の侍でござる
本文
突然のメール失礼致す。
拙者は人斬り十兵衛、今日は平賀源内先生の考案した未来文通装置を使用し、未来の日出づる国の童貞こわっぱどもにメールを送信致して候。
それがしら日出づる国の未来を担う若者の身を案じ、源内先生自らスケベサイトを創設した次第なり。
当方、お江戸の不埒な人妻を貴殿に紹介する用意が出来ているからして、大量の小判を握りしめ、至急下記サイトにアクセスされたし!



件名あなたを王に決めました
本文
はじめまして。雨宮翔子と申します。
34歳、性欲にまみれた人妻です…(笑)
早速ですがあなたを第二のチンギス・ハーンと見込んでお願いがあります。
実は私、主人に内緒で東京の地下に巨大な国家をつくっているんです…
お願いというのは、あなたにその国家の主になっていただきたいのです。
ハッキリ言いますが、もう、日本は終わりです。
ジュリアナ東京が閉鎖されたとき、私はそれを確信したのです。
すでに800万人のバブルの亡霊たちが地下国家へ集まっています。


革命の日は近い……


私たちは王の誕生を待っています。
ボディコン・ジュリ扇を持ってもう一度お立ち台に上がろうじゃありませんか!
私たちの手で栄光の90年代を取り戻すのです!
詳しい内容は以下のサイトにアップしてありますので、
一刻も早くアクセスし、しかるべき手段で我が国家へお越し下さい!




件名私のような……
本文
突然のご連絡でびっくりさせちゃってごめんなさい……
私、アメリカ・アマゾンと申します。
主人は愛犬のダックスフントに足払いをかけられ転倒し、後頭部を地面にしこたま叩き付けて絶命してしまいました……今はたまの休日にビールを浴びるほど飲んで、たいまつ片手に近隣の洞窟の奥へ歩みを進めることだけが唯一の楽しみです。

新たな出会いがないものかしらと始めたツイッターも使い方を間違え、フォロワーの皆様全員に向けて自分でも何を言ってるのかワケのわからないお礼のリプライを送り出す始末……


私は、完全に自分を見失ってしまったのです……


どうでしょう、私はルックスこそクッキングパパを強火で炙ったのちに槍で突いたような強面ですが、セックスのほうはアンジェリーナ・ジョリーよりも魅力的だと自分では思っています。こんな私を、抱いてくださいませんか?もちろん、お金などいただきません。あなたの股間にぶら下がっているオースティン・パワーズで、私を思う存分突いてくださればそれで満足なのです……

私に関する詳しいことは下記のサイトにすべて載せています。
どうぞよろしくお願いいたします。かしこ
http://twitter.com/#!/America_Amazon



……と、このように自分なりに工夫しながらあの手この手を使ってサイトへ誘導する文章をつくっていたわけだが、やがて「サイトの内容にほとんど関係がない上に意味もわからない」との指摘を受けるようになり、正直言って自分でも「こりゃ単なる悪ふざけだわ…」と思っていたため、結局私は迷惑メール制作の仕事から身を引いたのだった。


私にしては、正しい判断だったと今でも思う。