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名探偵ポームズ 推理編

「すべてが手掛かりだし、同時に、すべてが無関係だ。
 現実の多層性とはそういうものだよ」
「タソウセイ?」
「説明は、また今度」
  ーーー『φは壊れたね』 森 博嗣



* * * * * * * * * *



ー 推理編 ー


私たちが現場へ到着したときには、被害者の遺体はすでに鑑識課へ回されていた。


ポームズは目々暮警部に飛びつき、入念に頬ずりをした後で警部の分厚い耳たぶを甘噛みし、耳の穴へ舌を入れながら「どうしてほしい?」と囁いた。
「こ、こら! やめんかねポームズ君!」
警部は顔を背けるが、まんざらではない表情だ。


「まったく、相変わらずだねぃ、この男は……」鑑識官の孫が煙草を吹かしてあきれたように言うので、私は力なく頷いた。


「ねぇ警部、匿名の通報を入れた人物は見つかりましたか?」
ポームズは警部の頬に舌を這わせながら聞く。
「う、うふぅ……それについては、現在調査中だ。しかし通報は近隣の公衆電話からだったようだ。目撃者の有無もまだはっきりしておらんが、本署では被害者の知人の線でアリバイを洗っておる」



ポームズは警部から離れると、全身を包帯で巻いた不気味な男の正面に立ち、胸に手を当てて君が代を歌い始めた。歌い終わるともう一度君が代を独唱し、それも終えると納得のいった様子で「あなたは誰です?」と包帯の男に笑いかけた。


「そのミイラ男は事件の容疑者だ」と警部が言うと、ポームズは胸ポケットからカスタネットを取り出して激しく打ち鳴らしながら「ミジェロバアアアァァァッ!」と意味のわからない雄叫びを上げ、「ではあなたがバルコニーから転落したのですねっ!」とミイラ男の周囲を円を描くように走りながら尋ねた。


「11階から落ーちーたーww 11階から落ーちーたーww」ポームズは速度を上げ、甲高い声で歌い始めた。


ミイラ男はポームズの一連の行動に完全に引いてしまったらしく、人間の言葉を喋るナマコを眺めるような目でポームズを追っている。しかたがないので警部が代わりに答えた。

「この男がバルコニーから飛び降りたことは間違いない」



ポームズは着ていたジャケットを放り投げるとシャツも脱ぎ、キッチンから炊飯釜を持ってきて米を懸命に研ぎながらこう叫んだ。
「警部! 孫さん! 改めて事件のことを聞かせてください!」


警部と孫はもの凄い勢いで米を研ぎ続ける半裸のポームズではなく、助手の私に向かって話し始めた。





事件の経緯
・ミイラ男(と言ってもまだ包帯巻きになる前だが)、友人である細木宅へ到着、
 細木宅に鍵はかかっておらず、部屋に入ってからミイラ男が施錠
・ミイラ男、引き戸を開けリビングに入り、うつぶせに倒れる細木を発見
・警察、匿名の通報により現場に到着
・ミイラ男、警察の到着に驚き、おもわずバルコニーへ飛び出す
・警察、管理人から鍵を受け取り部屋へ入る
・目々暮警部、玄関から続く血を確認、リビングにて被害者発見、
 被害者の近くにビート板が4枚転がっていることを確認
・目々暮警部、バルコニーにミイラ男を発見、
 このとき窓を開けようとするも窓にはロックがかかっていた
・ミイラ男、パニックになりバルコニーから飛び降りる(11階)


ミイラ男の証言
・細木は自宅ドアの鍵をかけずにいた
・窓にロックをかけたのは自分ではない
 (部屋の外からロックをかけることは不可能)
・ミイラ男が部屋に足を踏み入れたとき、玄関から続く血痕はなかった


孫の鑑識結果
・被害者の死亡推定時刻は警察が到着するまでの15分間(推定)
・部屋に残された血痕はすべて被害者のものである



「……つまり、警察が駆けつける前は誰でも被害者宅に入ることが可能だったのですね?」
話を聞き終え、手帳のメモを見返しながら私が言うと、警部は鼻から息を漏らしながらしかめつらで頷いた。
「君らが到着するまでの間に細木の友人数名に確認を取ったところ、細木は友人が遊びに来るとわかっているときは、いつも鍵をかけずにいたらしい」


「カーテンを開いたら容疑者が立っていた……そう言いましたね! 警部!」と、ポームズが研ぎ終わった米をそのまま手で掬い、むしゃむしゃと食べながら言った。彼は米を炊かずに食う男なのだ。


「あ、ああ……そうだが、それが何か……?」
警部の問いには答えずにポームズはキッチンとリビングを仕切る引き戸をスライドさせて閉め、もう一度スライドさせて開いた。引き戸が開閉されるたびにガラガラ、という音が部屋に響く。ポームズは満足そうに頷いて勢いよく引き戸にヘッドバッドをすると、両の手を腋の下に挟み、
「あなた! 引き戸はどうしました、引き戸は!?」とミイラ男に向かって叫び、続いてMISIAのEverythingを無表情で歌い始めた。
その目は瞬き一つせず、ミイラ男に据えられている。


ミイラ男は「ひ、引き戸? どうしたって……」と言い、その声に被せるようにポームズが「あなたがリビングに入ってから! 引き戸は! 開け放したままだったのかなあぁッ!!? どうなんかなあぁッ?!」と絶叫し、およそ3倍速のテンポでEverythingを再び歌い始めた。


「ひ、ひ、引き戸は……開けたままにした、と思う……す、すぐにカズのそばへ駆け寄ったから……その後俺はバルコニーに出てしまったし……」
「ワシが踏み込んだとき引き戸は開いておったよ、ポームズ君」と警部も言う。


「ミイラ男さん! あなた、お名前は!?」ポームズは鼻と鼻がぶつかるくらい顔を近づけて、ミイラ男に尋ねた。

「の、野村 沙知夫 (のむら さちお )……」

ポームズは身をすくませて答えるミイラ男を「合格だッ!」と一喝し、赤ちゃんのするハイハイを真似ながら孫の足下へ這って行き、「僕ちんに被害者の写真を見せてほしいバブゥーッ☆」と言って周囲を転げ回った。まるで一輪車で高速道路を疾走するようなハシャぎようである。





「被害者のシャツの背は血に染まっているが、出血量はそれほどでもなかったんですね」
写真に目を通すとポームズは窓の前に這いつくばり、「ああ……四つん這いになると、僕は……」と意味ありげなことをつぶやいて床に敷かれたカーペットの上を入念に観察し始めた。


「凶器を引き抜いたわけではないからねぃ、出血自体はそう大したもんじゃあない。
 しかし遺体を引きずったり背負って歩いたりすれば、話は別だねぃ」
孫の言葉にポームズは吹き出し、
「引きずる? 背負う? ああ、キッチンの血のことですか? 引きずったりしたらあんなふうに点々と血の痕が残ったりはしませんよ。背負うというのは……ふふ、面白いですねぇ! ところで孫さん、こうして見るとカーペットの端々にもいくらか血痕が残ってますね」と言った。


孫は煙草に火を点け、
「そりゃそうさ。肺を刺されて即死することはない。むしろ、もがき苦しんで死んで行くのさ……そう長い時間ではないがねぃ」と言ってカーペット上にはっきり残る、引っ掻いたような跡を指差した。
「ガイシャが苦しんだ証拠さぁ」


私も片膝をつき、目を凝らしてカーペット上を観察してみた。

柄物のカーペットのため見分けにくいが、たしかに血が飛び散ったような細かな跡がそこら中に散見された。被害者が倒れ、もがいた際にいくらか出血したのだろう。

ふいに、部屋の隅に並べられた4枚のビート板に目がいった。
被害者のそばに転がっていたというビート板だ。


「いいものに目を付けたな、ワトソソン君! ソレはねぇ、ひひゃはははははは! 今はまだ秘密だよーんっ! ♪しまうぅーーーたぐゎ 風に乗りぃーーーーー♪」私の視線に気づいたポームズはそう叫び、THE BOOM島唄を熱唱し始めた。


「そうだ! ミイラ男さん! あなたが細木さんを発見したとき、ビート板はどこにありました?」
歌を中断してポームズが尋ねるとミイラ男は、
「あ、ああ……そういえばカズのそばに転がっていたな」と答えた。


「それでいいんだッ! アハハハハハハハハハ! ギャーーーーーーーーッハッハッハッハッハ!」何が可笑しいのかわからないが、ポームズは急に爆笑し始めた。


「あのビート板も事件に関係があるのかね!?」
目々暮警部が驚いて尋ねると、ポームズは警部の脚に向かって高速タックルを決めて飛びつき、警部の股の間に顔を押し込みながら「そうだょ?」と答えた。その声にはマックシェイクにココアをかけたような甘さがあった。





「そうだ、これは事件に関係あるかねぃ?」
そう言って孫は部屋の隅に置かれたローチェストの上面を指し示す。

私とポームズが覗いてみると、埃の積もった上面の右側だけが奇麗な状態で保たれていた。埃が積もっている箇所と比べると色合いがはっきり違って見える。
「この一角だけ埃がない……何かが載っていたのかな?」私が言うと、ミイラ男が「コンポだ!」と叫んだ。


「そこにはいつも、CDコンポが置かれていたはず……」
「今日部屋に来たときにもあったかぃ?」
「わからない……カズがあんな事になって、気が動転していたから……」


私はポームズを見た。

ポームズはあごの先を親指でさすりながら口の端を上げた。



何かに気づいたのだ。





脂汗を額に浮かべ、苦しみながら少しずつ、ゆっくりとスープをすする。

ポームズは歯を食いしばって16杯目になる塩ラーメンを完食した。

塩ラーメンを20杯食べる……この苦行こそ、ポームズが推理をする際の儀式なのだ。


私たちが到着してからすでに3時間近く経過していた。
通報者が見つかれば事件は解決だ……そう言ってポームズは塩ラーメンを20杯出前したのである。



「あ、あの」とミイラ男が声を上げた。
「俺は帰っちゃいけないのか?」
「お前は容疑者だ、今晩は署のほうで寝てもらう」警部が厳しい口調で言い、ミイラ男はうなだれた。


「自宅へ帰っても構いませんよ」
そう言ってポームズは空になったラーメンの丼を置いた。17杯目も無事完食。
「犯人は……野村さんでは……ない……ウゥップ」



そのとき、目々暮警部の携帯電話が鳴り出した。


電話に出るなり警部の表情が変わった。
「通報した人物が見つかっただと!?」


それを聞くなり18杯目の塩ラーメンを放り投げ、ポームズは「その人物の名前、漢字は!?」と叫んだ。


「あさか みつお……! ふむふむ、浅いに、香る、光に……夫!
 浅香 光夫だな!」



「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
警部の言葉に反応してポームズは絶叫し、19杯、20杯目のラーメンも壁に投げつけてこう言った。



「その人物をここへ連れてきてください!
 犯人です!」



私はミイラ男が震えているのに気がついた。

「浅香……あいつが?」ミイラ男が不安そうにつぶやくのが聞こえた。



ーー 名探偵ポームズ 解決編に続く ーー