9つの街 前編

こんにゃくマクラの増田さんを師に選ぶことに決めたよ、と安田くんはゆっくり喋って、ゆっくりコーヒーを口に運んで、ポテトをまたゆっくり食べながら話した。


わたしは安田くんを見るたびに、この人はどうしてこんなにのんびり動くことができるのだろうと真剣に考えてしまう。長身でやせっぽちで、つり上がった目はどことなく神経質そうな印象を与えるのだけれど、何をするにもとにかくのんびりとしていて何だか捉えどころのない安田くん。


午後を少し回ったばかりだというのに喫茶店にはわたしたちの他にはおばあさんが一人いるだけで、店内の時間の流れまで安田くんと調和しているみたいにのんびり、ゆったりしていて、わたしはこの感じがこのままもうずっと続いてくれればいいのになんてことを考えたりもして、
「そっかぁ、こんにゃくマクラかぁ」
と頬杖をつきながら、ほとんど何も考えずに窓の外のゆるい日射しが落ちる路面や、背が高くて幹しか見えないモチマミの木を眺めて言った。


9つの街を巡った後にこのフイミルの街に戻ってきたのは、わたしと安田くんだけだった。


綾花と唯はテーマパークがあって賑やかな大都市ディニズに残り、早苗はすでにソラニの街で師を見つけ、空中浮遊術を習っている。とはいえ、早苗がソラニの街に残る事を決めたのはあの街で好きな人ができたからなのだけれど。恋に落ちると他に何も手がつけられなくなってしまう早苗のことだから、ちゃんと浮遊術を勉強しているかも怪しい。

そういえば昨日届いたメールで、結局トオルはミョーガンの街で未来予知術を教わることに決めたらしい。まあ、あいつが何を目指そうがわたしにはどうでもいいことだけれど。もちろん返事は出していなくて、勝手に頑張ってくださいといった感じ。


「日比野さんは、さぁ、どうするの?」

安田くんの独特な間を置いた喋り方がわたしはけっこう好きだ。トオルと違って自分のことばかり喋らないところもいい。とはいえ安田くんはまったくと言っていいほど自分自身については語らない人で、こうして二人でお茶していてもわたしばかりが喋って、お互いに共通の話題といえばやっぱり進路のことになるからわたしはなんというかトーンダウンしてしまうこともあって、そんなときだけ気を使ってか安田くんは最近観た映画の話をしてくれたりもする。

でも、いまは違う。

どうするの? なんて聞かれたら答えを引っぱり出すためにこの先のこと、考えなきゃならないし、でもわたしは9つの街を周っても結論が出せなくて、とりあえずのんびりした感じに惹かれてフイミルの街に戻ってきたものの、安田くんみたいにこの街で師を選ぶなんてそうすぐにはできそうにない。


それでわたしは大きくひとつため息をついて目をくるりと回してみせて、
「どうしましょ?」とおどけてみせたのだけれど、安田くんはニコリともせずに顎の先を指でかいたりしながら、
「ひょっとして、何も、考えずにこの街に、戻ってきちゃったの?」
なんて言った。

さすがの安田くんも能面のように表情をなくしていたであろうわたしの様子に驚いたらしく「ごめん」とぽつりと言うものだから、わたしはそういう安田くんの意外というか新鮮な反応に気を良くして、あの安田くんがあやまったんだよと綾花たちにメールしようなんてことを考えた。



「ま、スタートはみんなより遅れるけど、わたしもこの街で自分のやりたいこと、きっと見つけるよ。なんていうかこの街の空気が好きだからさ、わたし」
そう言うと安田くんは小さく頷いて、
「僕も9つ街を周って、この街の雰囲気が、一番、いいと思ったし、増田さんに色々教わりたいって、思った」と話すのだけれど、その声の平板な感じや口調全体のゆったりとしたリズムのせいで、全然興味がなさそうに響いてわたしは可笑しかった。





喫茶店を出ても相変わらずゆるい日射しは続いていて、ぽつぽつと距離を置いて並ぶ背の高いモチマミの木の下をわたしと安田くんは並んで歩いた。モチマミの幹はひょろりとして薄っぺらくてものすごく頼りない感じなのだけれど、そこからグングンと四方に伸びる枝に繁る葉の量は尋常ではなくて、わたしはモチマミの木を見るたびに綿あめを連想する。

フイミルの街はこのモチマミの木以外にはこれといった特色もなくて、進路選定のために巡る他の8つの街に比べてその地味さから生徒のウケが圧倒的に悪く、にもかかわらずわたし以外にもこの街で師を探そうと活動する人がいたことにはかなり驚いたのだけれど、それが安田くんとわかって妙に納得がいった。

安田くんはこの街の雰囲気が好きと言ったけれど、それはわたしも同じだ。この何もない街にいると将来のこととか、考えなくていいような気分になれるから。もちろん安田くんはわたしとはまったく別の視点でこの街を眺めていて、本気でこんにゃくマクラの道で生きていこうと決心しているのだろうけれど。


「じゃあ、ここ、で……。僕、これから増田さんのところ、寄って行こうと思ってる、から」
と安田くんは足を止めて話して、モチマミの木の間からのぞく赤いレンガ壁の家へ目を向けた。
安田くんが師事するこんにゃくマクラの増田さんの家だ。

「うん、頑張ってね」と片手をあげつつ反射的に答える一方で、わたしの頭には瞬間的にある考えが浮かんできていて「あっ」と声が漏れて、それに釣られて増田さんの家の方向へ進もうと一歩踏み出そうとした安田くんの体がぴくっと動いて静止して、こっちを見た。


「あのぉ、わたしもついてっていい?」と言ってわたしは両手を合わせ、「見学させて」と付け足した。

安田くんは少し戸惑うような顔を見せたものの「あ、うん……でも増田さんがいいって、言ったらね」と言い、わたしは「ありがとっ」と言いながら安田くんの後について歩き出した。



※中編につづきます。