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5年前の、長ネギの

窓の外の風景に高層ビルがちらほらと混ざり始めた。


新幹線はもうすぐ東京へ着く。


凸凹の激しい建物の連なりを眺めていると、毎日のようにテレビに出演し、雑誌の取材を受け続けた東京での日々が憂鬱の影とともに立ち昇ってくる。

(世界を救った根岸さんと、そのお孫の瞳さんです!)
(本日は長ネギの聖女、根岸 瞳さんにお越しいただきました!)
(では根岸さん、長ネギを持ってカメラに微笑みかけてください。撮りますよー)


地球が震えるくらい大きなため息をついて、あたしはブラックコーヒーを喉に流し込んだ。


(ええ、ええ、そうですとも! ワシらはね、選ばれし血筋の人間なんです!)
(息子にこの「力」が受け継がれなかった時は心底ショックを受けましたけれどね、いやぁ、まさか孫の瞳がこれほどまで才能に溢れていたとは……)
(これでワシも安心してこの世を去れますなァ。だはははは)


ガラス窓をレンガで小突くようなおじいちゃんの声が、頭とも耳ともいえないような場所で鳴り響いている。こうなるともうお手上げだ。あたしは観念して今日二個目のアイスクリームを食べることにした。あたしはアイスを食べることにかけても、世界一なのだ。

(根岸家の歴史を振り返ってみても、お前ほどの才能の持ち主はいなかったに違いない。まさにお前は長ネギの聖女じゃ、瞳! だはははは)

ありがとうおじいちゃん。この能力のおかげで、あたし結婚できそうにない。
二個目のアイスクリームをもってしても、あたしを慰めることはできなかった。


しっかりしなきゃ、あたし……。



「あのぉ、すみませぇん」
あたしはサングラスを外していたことを忘れたまま振り返ってしまった。
それがまずかった。
「やっぱりぃ! ね、あなた、ヒトミちゃんでしょう? あの長ネギのおじいちゃんとよくテレビ出てた子! そぉ、地球を救ったヒーロー!」

あたしより2歳から3歳くらい若そうな女の子だった。あたしは返事をせず、彼女のからまったエクステを眺めていた。

「あ、ごめんねぇ。大きな声じゃまずいよね。でもさ、わたしねぇ、どうしてもお礼が言いたくって」

言いながら女の子は手を合わせる。パステルピンクのラメ入りネイルが、あたしにはひどく眩しい。

「ヒトミちゃんが地球を救ってくれたおかげで、わたし大好きな人と一緒になれましたぁ! ほんとうにほんとうに、ありがとう」
そう言って彼女は凄い勢いで、何度も頭を下げ始めた。

「いいから、いいから」あたしは恥ずかしくなって彼女の細い肩に手をやる。ひんやりとした肌の下に眠る、しっかりとした骨の硬さがあたしの指の先に伝わった。

女の子は体を起こすと、まじまじとあたしを見つめた。思わずあたしは目を伏せてしまう。全国の、いや、全世界の人々があたしの顔を知っているのに、どうしてこんなにも恥ずかしい気持ちになってしまうのか。


しっかりしなきゃ……。


「もうあれから5年も経つんだよねぇ。ここ最近はテレビ、全然出てないね」
「テレビに出るの本当はすごく嫌なの」
あたしは目を伏せたまま早口でそう答えた。



短い沈黙が下りてきて、胸が痛んだ。あたし、駄目だ。
「ねぇ、ヒトミちゃんてすっごくきれいね」
彼女が突然そんなことを言うものだから、あたしはすっとんきょうな声を上げてしまった。もう行くね、そう言って彼女は踵を返す。

何も言えぬまま彼女の背中を見つめるあたしの頭上で、車内アナウンスが間もなく東京へ着くことを報せていた。





地図を片手に東京駅構内をうろつく。


人が多くて目眩がしそうだ。あたしは立ち止まり、帽子を思いきり引き下げ直して再び構内図に目を落とした。

まいった。


あたしほんとに迷った。


世界は救えても迷子になることだってあるのだ。半ばあきらめの気持ちで辺りを見回すと、地球へ落ちる隕石がCGで描かれた、幅4mほどの巨大なポスターが目に止まった。5年前世界を襲ったあの大事件以来、あたしの住むド田舎でもこの手のデザインのポスターはよく目にするようになった。

そうだ、もし『次』があるのなら……今度は、あたしがしっかりしなきゃいけないんだ。



「あれぇ」

甘いキャンディみたいな独特の声。顔を向けると、さきほど新幹線内で出会ったラメ入りネイルの女の子がベビーカーを押しながらこちらへ歩いてきた。隣には長身の男性の姿。うん、カッコいい。

「あはは、また会ったねぇ」
そう言いながら彼女はあたしの手元へ目を向ける。
あたしは持っていた構内図を無意識のうちにお尻の後ろに隠した。
「ヒトミちゃん、どこ行きたいの?」首を傾げて彼女は言う。
「えと……東京メトロ丸ノ内線……」
あたしの声は雑踏の中に消えてしまいそうな程度のボリュームだったけれど、彼女は黒目をくるりと回して、
「じゃあ逆方向だよぅ。その地図見せてっ。あのね、ここをまっすぐ引き返して丸ノ内中央口を目指してぇ……」と、ジェスチャーを交えて喋り始めた。


構内図越しに、ベビーカーの中の赤ちゃんと目が合った。ふぇ、ふぇ、と赤ちゃんは声を上げる。あたしを見て笑ってる。あたしは赤ちゃんのママの仕草を真似して、黒目をくるりと回してみせた。

「ふふ、ねぇ、わたしの話全然聞いてないでしょう」笑いながら彼女が言うので、あたしは彼女に対しても黒目をくるりと回してぎこちない笑顔をつくってみせた。あたしなりの、精一杯のサービスなんだ。


結局、彼女たちに案内されて、あたしは無事に地下鉄丸ノ内線乗り場までたどり着けた。あたしはここでも彼女の仕草を真似て、何度も何度も頭を下げた。


(ワシらは世界最高のコンビじゃな、瞳! だはははは)


小さくなっていく彼女と旦那さんの後ろ姿を眺めていたら、あたしとおじいちゃんで守ったものの大きさが少しだけわかったような気がした。



赤坂見附で電車を降り、今度は銀座線に乗り換える。


構内図と睨めっこをしながら何とか乗り換えに成功したあたしは、とうとう外苑前駅にたどり着いた。




青山霊園忠犬ハチ公の墓のすぐ隣に、おじいちゃんは眠っている。



おじいちゃんのお墓はとても清潔に保たれていた。
辺り一面には目眩がするくらいたくさんの長ネギが植えられていて、雑草なんてただの一本も生えていない。お供え物の多くは長ネギなのだけれど、おじいちゃんの似顔絵や、ファンレターなどを置いていってくれる人もいる。

あたしは持っていたバッグにお供え物をぎゅうぎゅうに詰め込んでから、汚れひとつないお墓をブラシでこすり始めた。



(嫌よ、長ネギなんて。絶対嫌)

(どうしてあたしなの。どうして長ネギなの。こんなのってないよ)


あたしは小さな頃から、ずっとおじいちゃんと一緒だった。


この「力」をより強力なものに磨き上げるために、あたしは毎日おじいちゃんと修行をして暮らした。あたしは小学校にも中学校にも、あまり行っていない。あたしたちの「力」は世界のために必要なものだから、あたしは来る日も来る日もおじいちゃんとの厳しい修行に耐えてきたんだ。


(やったなぁ。よかったなぁ。ワシらのこれまでの日々は、無駄じゃなかった)

(うん、無駄じゃなかった。無駄じゃなかったね、おじいちゃん)


あたしの用意したお供え物は、二人で守った地球のキーホルダー。

ろうそくを立て、線香に火をつける。
ずいぶん長い間、納得のいくまであたしは手を合わせ続けた。


「次に地球がピンチのときは、あたしひとりで何とかしなくちゃね。あたしが、しっかりしなくちゃね」
自分でもびっくりしたけれど、あたしの声は震えていた。

「大丈夫。心配ないよ。あたしの能力はおじいちゃん以上なんだもん、ね……」

しばらくの間、あたしの言葉は宙に浮いていた。
どれだけ息をひそめて、どれだけ待ってみても、言葉はどこにも流れてはいかなかった。



他に何か言っておくことはないだろうか。
おじいちゃんに伝えておくこと。


ひとつ、思い当たることがあった。

あの頃、おじいちゃんの前では絶対に言えなかったこと。

私は試してみることにした。

おじいちゃん。次にまたとんでもないことが起きたとしても、あたしひとりで世界は守ってみせます。


でも、あたし。


「恋がしてみたいよ」

早口で言ってすぐさま立ち上がった。
やっぱりおじいちゃんに怒られそうな気がしたから。
すぐ長ネギで頭を叩くんだもの。


ぎゅうぎゅう詰めのバッグを肩に担いで、あたしは青山霊園を後にした。

陽はもうとっくに沈んでいた。



そうだ。



もうひとつあったよおじいちゃん。


外苑前駅までの信号待ちをしている中、あたしは小さく、けれどおじいちゃんにも届くように力強く、はっきりと呟いた。


「あと、ネイルもしてみたいの」



〜 Fin 〜