禅話2 〜無心・最強の攻防〜

強さを求めて読み始めた剣術書で、その道の達人らが〝禅〟にも非常に高いレベルで通じていることを知った。沢庵和尚も山岡鉄舟も、彼ら達人の剣術思想に共通するのは、〝無心〟である。 剣豪達は口を揃えてこう言う。

 

「心をどこにも置かずに放つ攻撃こそ最強。思念に捉われず相手の動きに自在に応じよ(要約)」。私のやっているボクシングで例えれば、血気盛んな相手と対すると、相手がどの部位を打ってくるかということがある程度把握できることがある。ボクシング中継で解説者が「大振りになっているのでカウンターを狙える」などと話す時がそれだ。一発当ててやろうという気持ちが強すぎて、隙が生まれてしまう。つまりは心を〝一つ所〟に置いている状態だ。剣豪達はこれを徹底的に嫌う。

 

沢庵和尚も著書『不動智神妙録』の中で「こいつどのタイミングで斬り込んで来るんだろ……うっわ〜メッチャ俺のこと睨んでるヨォ〜……なんて思ってると相手の刀の動きに心が引きずられ、自分の行動が制限されて斬られてしまう。逆に、お前がピクリとでも動いた瞬間に斬りかかってやるからなぁ〜ww殺してやるぞぉ〜wwなんて狙いすましてるとそれを見透かされ、カウンターで額のド真ん中をパックリだ。このように心を何かに捉われていれば身体の自由が効かなくなる。攻撃にせよ防御にせよ、心をどこにも置かず、すべての状況に自在に対応できる心の状態こそ、最強(意訳)」と説いている。

 

心を置かなければ、心を読まれることもない。ボクシングでは敗者のインタビューで「まさかあのタイミングで打ってくるとは思わなかった」といった話を度々聞くが、相手に次の一手を悟らせない攻撃こそ、無心ではないだろうか。実際、殴り合いをしていて一番〝効かせられる〟のは想定外の攻撃、つまりカウンターだ。近距離で打ち合うと分かるが、殴られると分かっていて受ける打撃というのはある程度我慢ができるものである。

 

無心ーーー。私は早速この心をどこにも置かない攻防を実戦に取り入れることにした。これまでスパーリング中に相手の行動の先読みやどのようなフェイントをかけて打ち込むかといった思考でフル回転していた頭をカラッポにし、ただただ相手の動きに応じ心を止めずに攻撃することを心がけた。

 

するとどうだろう!!

 

相手の行動を全く予測していないため、

 

面白いように相手のパンチが

私の顔面に当たるのだ!!!!

 

リングを降りるとトレーナーが心配そうな顔で駆け寄り、こう言った。「お前、どっか体悪いのか?」

 

私は噴出する鼻血を拭こうともせず、潰れていない方の目でなんとかトレーナーを見つめてこう答えた。

 

「少々、心を無くしておりまして」

 

ー了ー

 

(禅話3へ続く)