先日、かつての恩師に連れられて、母親のアソコから顔を出して以来初めて『スナック』なる場所へ行ってきた。
「ママの店はヨソと違って歌に一家言持ったお客さんが多いからな! 張り切って歌えヨォ〜!」と笑う恩師の言う通り、そこは酒を飲みながら客が順番にカラオケを披露し、あーだこうだと歌の技量を批評する特殊な空間であった。
これが『スナック』……。
客の年齢層は50〜60代といったところだろうか。どう見ても自分が最年少なこの空間で、何を歌えば彼ら常連の心に響くのか? ボクシング経験者というキャラ付けから無難にアリスの『チャンピオン』を置きに行くか……? いや、しかし……。俺はしばし様子を窺うことにした。
恩師はサイモン&ガーファンクルの『明日に架ける橋』をチョイス。カラオケであれば「一曲歌って帰んのか?」とも思われかねない『蛍の光』的選曲だが、常連達の「ほぅ…?」という反応からして、スナックでは初手サイモンはアリな選択肢のようだ。
『明日に架ける橋』を無難に歌い終えた恩師がそっと店内に目を走らせる。しかし常連のおっさん達の反応は薄く、その中に1人いるハゲに至っては煙草の煙で輪っかを作り、失笑しながら息を吹きかけて消すといったミラクルな態度で俺を仰天させた。
まるで醤油をポカリスエットで割ったような微妙な空気の中、行き場を失った冬場の蚊みたいな表情の恩師から俺はマイクを預かった。ついに自分の番が回ってきた。〝無難な選曲をして無難に歌い上げても、この空間ではなんかスベった感が生まれる……〟。奴らの土俵で戦ってはダメだと判断した俺は、ジャブ抜きで飛び込みのフックやアッパーで威嚇する目くらまし戦法を選んだ。
「サーセンww 俺、昔の曲とか知らなくて……ラップ歌っていいですか?」。ワザとらしく頭をかきながらお伺いをたてる俺に常連のオヤジ達はもちろん、恩師の目の色までもが変わるのが分かった。
「お、おい、ここはそういう店じゃ……」。〝ヤメロ!ゼッタイニスベル!!〟と必死にアイコンタクトを送りながら俺の肘を引っ張る恩師を制したのは、意外にも常連のハゲだった。
「いいじゃないですか、たまには新しい空気を入れるのも。それに……若い人の歌を聴いてみたい」と、ハゲはピスタチオの殻を割りながら口の端を上げてみせる。……このハゲは要注意だ。ラップで撹乱して批評不能の空気に持ち込もうとしていたのに、結果的に常連のオヤジ全員が俺の出方に注目することになってしまった。
かくして、俺は生まれたての子鹿のようにプルップル足を震わせながら、日本語HIPHOP往年の名曲『Grateful Days』をカマすことに。
♪♪ 俺は東京生まれHIPHOP育ち
悪そうなヤツはだいたい友達 ♪♪
オヤジ達が苦虫を噛み潰して丸呑みしたような顔でカラオケの画面を凝視している。
♪♪ マイク掴んだらマジでNo.1
東京代表トップランカーだ ♪♪
常連のハゲがピスタチオを割らずに殻ごと噛み砕いている。
♪♪ 仲間たち親たちファンたちに今日も
感謝して進む荒れたオフロード♪♪
……!!!
常連のハゲがトイレに立った……!!
圧倒的屈辱。演奏が終わると同時にハゲはトイレから帰ってきた。恩師が俺の肩に手を置き、「ヨカタヨ」と数年血を口にしていない蚊の鳴くような声を俺にかける。……圧倒的屈辱。
その後は常連のハゲが堂々たる歌唱力で70年代歌謡曲を披露し場を盛り上げたり、酔いの回った恩師が持参したユニフォームに着替えてまで『浦和レッズ』のオフィシャルソングを熱唱したり、オヤジたちの歌う聴いたこともないオールディーズに対して「イヨッ! 最高ッ!!!」などと俺が真顔で合いの手を入れたり、それなりに楽しいひと時を過ごした。
夜が更けていき、徐々に常連たちが店を後にする中「俺、昔の歌はあまり知らなくて……なんか上手くいかなかったっス」と言ったらママが「新卒で初めてここへ来た時、彼も同じことをボヤいてたわ。でもあれから12年……今じゃうちのトップね」とハゲを指差してて驚いた。新卒で12年……?
新卒で12年……???
帰り仕度を始めたハゲに恐る恐る年齢を聞いてみたら、奴は振り返りもせず
「36」
と言い残し、店を出て行った。
……2コ上かよ。
〜了〜